ディジョン・マスタード の歴史とブルゴーニュ・マスタード IGPの誕生 

フランス、ボーヌ、ファロ社のブルゴーニュ マスタード

人類がマスタード種子を使い始めたのは遠い昔のこと。正確な起源はわかっていませんが、古代ギリシャや古代ローマ時代はもちろん、古代エジプト時代まで遡ると言われています。当時は食用というよりは薬効を目的としたものでした。時代が下るにつれ、食用としての役割がメインとなっていきます。

 中世に入り、フランス各地でマスタードが生産されましたが、特にブルゴーニュ、ボルドー、シャンパーニュ、ロワール流域等、ワイン産地でのマスタード生産が増えました。これはマスタードの原料となるワインヴィネガーの入手が容易だったからです。そのなかでもブルゴーニュの都ディジョンのマスタードは13世紀から多数の歴史的な記述があり、最も古くから高品質で知られていました。当時のブルゴーニュ大公達の庇護のもと、マスタード種子の生産が奨励され、マスタード製造業者も増えました。16世紀にはディジョン・マスタードはブルゴーニュ地方の特産物となっていました。これにはブルゴーニュならではの事情もありました。元々森が多く、粘土石灰質土壌が豊富にあり、木炭採取の跡地がカリウム豊富でマスタード種子の生産に向くためです。木炭屋がマスタード種子を栽培し、マスタード製造業者が収穫時に木炭屋を回ってマスタード種子を買い集めた時代があったのです。18世紀に入ると、AMORAアモラ社等現在に繋がるマスタード製造業者の前身が登場します。

古いマスタードの壺

 フランス革命後、産業革命の進展により、油や電気が普及し木炭の必要性が薄れ、木炭屋の数が減少。ブルゴーニュ内でのマスタード種子の生産が少なくなっていきます。マスタード製造業者は原材料をブルゴーニュ以外のフランス各地に探すようになっていきました。マスタード製造も手作業から大きな石を使用した破砕が主流となり、近代化が進み、様々なハーブを足したりする新しいマスタードの開発も進みました。

 1937年、パリのマスタード製造業者がディジョン・マスタードを製造販売したことをきっかけに訴訟が行われ、ディジョン・マスタードの規定が法律で定められました。この1937年のディジョン・マスタードの規定製造方法に関するものだけでした。原材料の「産地」の規定は一切なかったのです。1930年代のフランスは、ワインの原産地呼称法AOC制定の最中でした。ワインに関してはブドウの原産地規定が厳格に行われたのです。「サンテミリオン名のワインはサンテミリオン村のブドウからつくられなくてはいけない」という決まりです。それと同じ法律はディジョン・マスタードに対してはつくられませんでした。というのも、既に地元ブルゴーニュ産マスタード種子は僅かで、原材料をフランス他地域や近隣諸国に依存していたからです。当時は問題視されませんでしたが、この時の法律が後年カナダ産原料に切り替わっていく流れに繋がっていきます。

 第二次大戦後、疲弊したフランス経済を復興すべく、フランス政府は様々な農業支援を行いました。生活必需品である小麦や植物油の生産に対する補助がなされた一方、マスタード種子生産に対する政府の補助はありませんでした。当然農家は儲けのある農作物に切り替えていきます。フランス内のマスタード種子生産は大幅に減少。1970年代には外国産、特にカナダ産に完全に切り替わってしまいました。それだけではありません。原材料の産地規定がなく、製造規定だけだったので、ディジョンから遠く離れた欧州各国やアメリカでもディジョン・マスタードがつくられるようになってしまいました。今もアメリカで生産されたハインツHEINTZやクプスKOOPSの ディジョン・マスタードを見つけることができます

ポーランド製造のディジョン マスタード
ポーランドで生産されたディジョン マスタード

 1990年代に入り、フランスのディジョン・マスタードの製造業者は原材料のマスタード種子の入手に困難をきたすようになります。カナダがディジョン・マスタード用のブラウン・マスタード種子の生産を減らし、ホワイト・マスタード種子によるオイルの生産を優先したからです。さらに、カナダからフランスまでの貨物船の輸送の問題や、フランスの港からディジョンまでのトラックが頻繁にストライキに入りました。これらの経験から外国産原料に頼るのではなく、フランス産、特にブルゴーニュ内でマスタード種子を生産する必要性が叫ばれるようになりました。しかし、ブルゴーニュでのマスタード種子生産農家は消滅して久しく、どう栽培したらいいのかわからないという状況でした。そこで1992年、国立の農業研究機関とマスタード製造業者、10軒の農家が小さなプロジェクトを始めました。ブルゴーニュ内で、30haのマスタード種子の生産がはじまり、ブルゴーニュの製造業者がつくるマスタードが復活したのです。彼らはこのプロジェクトの商品にディジョン・マスタードという名称を使用せず、新しい名称の商品にしました。それが Moutarde de Bourgogne ブルゴーニュ・マスタード です。

 原材料のマスタード種子をブルゴーニュ産、使用するワインヴィネガーもブルゴーニュ産に限定したこのマスタードは、フランス内の地産地消の流れに乗り、大きく発展しました。2009年にはIGP(indication géographique protégée 地理的保護表示)を取得し、法律的にも整備された存在となりました。現在では、300軒の農家が5500haの面積でブラウン・マスタード種子を生産しています。同時にブラウン・マスタードの品種改良や農法の改善を行い、最終的なマスタードの品質が向上しました。ブルゴーニュ マスタードはディジョン マスタードの2倍程の価格になりますが、高級フランス料理のレストランではブルゴーニュ・マスタードが使われますし、一般のスーパー・マーケットでも普通に見かけるようになっています。もちろん、世界中に輸出されています。

原材料をすべてブルゴーニュ内に頼るのは、自然の影響を受けやすいという短所もあります。2021年のブルゴーニュワインは春先の霜被害で大幅に収量減。これによってワインヴィネガーが足らなくなりました。同時に、ブルゴーニュ内のマスタード種子生産も天候の問題で収量半分以下となり、ブルゴーニュ マスタードの価格は一気に上がりました。この時期、2021年のカナダも干ばつで、マスタード種子の生産が激減。さらに、マスタード種子の大きな生産国であったウクライナとロシアが戦争の影響で輸出をストップ。世界的な原材料不足となり、ブルゴーニュ マスタードもディジョン マスタードも生産が完全に止まりました。2022年夏頃、フランス中でマスタードを見つけられず、店頭では空の状態が続いたのです。2023年に入ってこの問題は改善されましたが、今後もこういったことが起こるかもしれません。

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